撮れるんです

写真と日々のこと。自己整理のための雑記として

相模川沿いを撮り歩く(厚木市)

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神奈川県の真ん中あたりに位置する厚木市

教科書に載っていたり、小田急線の行き先だったりするため、片田舎ながら案外知名度があります。

僕は高校から東京に出たのですが、地元は厚木。

晦日から元旦にかけて帰省していました。

中途半端に東京に近かったり、小中学校時代の繋がりが既に切れていたりで、地元愛のようなものはほとんどありませんが、やはり帰ると少し懐かしい気分になります。

両親の日課の朝散歩に付き合って、相模川沿いを撮り歩いてきました。

最近はズームレンズをつけっぱなしにしていて、飼い猫を撮るか、登山動画を撮っているばかり。

久しぶりに短焦点レンズを付けて、ファインダーを覗きながらのんびりと写真撮影を愉しむことができました。

(ふと写真について思うことがあったので、写真の後に少し書きます。)

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川沿いには薔薇園があります。こじんまりとしていますが、それがまた良い。
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裸枝、陰、枯れた花。

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おじさんが1人、のんびり。年末年始くらいはのんびり過ごしてください。
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台風19号の痕がそこかしこに。フェンスやススキは増水時に倒れてしまったようでした。両親曰く、サッカーゴールやテニスコートも大変だったとか。
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やたらとたくさんの鴨が。
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快晴でよかった!

 

久々のスナップ。そこで少し考えたことを。

2019年の前半は、初めからモヤモヤしていました。何かに追われていた時期で、実益に繋がらない、目的や意味のないことを許容できない自分がいました。

恐らく社会人になって、忙殺されながらロジックや目的、利益、コストなんかをわからないなりに必死に考えていた結果、ロジカルに説明のつかないことや実益のないことに気持ち悪さを感じるようになっていたのかもしれません。

なぜ写真を撮るのかという自問自答に対して、腹落ちする答えを用意できない状態で、無邪気に写真を撮ることを楽しめなくなっていました。ただよくわからない街の景色を撮るためにお金と時間と精神をかけるって、楽しいかもしれないけど、何?意味あるの?という心境です。

(それなりにお金をもらって写真を撮っていた時期があったことも上の思考を強めた要因の一つかもしれません。自分にとって写真とは、お金を稼ぐツールでもあり、それ以外の場合での行為に対して意味付けができていませんでした。)

故にライカを手放し、最終的には機材をほとんど売り払って写真から距離を置きました。

9月頃、猫を飼い始め、山登りを再開したタイミングで、被写体ありきの写真として、写真に回帰しました。ここでは写真はあくまでその他の趣味に対してのツールであり、残すことが目的となりました。

そこへきて、今日。

本当に久しぶりに、純粋に写真を撮るという行為を楽しむことができました。

相模川の景色なんて、撮ってもしょうもないかもしれないけれど。

素敵だなと思った景色に対して適切な場所に立って、カメラを構えて、ファインダーを覗き、シャッターを切る。

そんな一連の動作を繰り返すことがこんなに気持ち良いことだったとは!

撮れた写真を見ても、何でもないのだけれど、とても満足のいくものでした。

今日、久々にこの体験をして思ったことは、写真を撮るという行為は、自分にとって、それだけで完結した意味のある行為なのだということです。

どんな実益があるとか、目的は何だとか、そういう類の行為ではないし、そうでなくても自分にとって大切な時間なのだということにほとんど1年ぶりに!気がつくことができました。

元旦にとても良い気づきを得ることが出来ました。

2020年は写真の愉しさを噛み締めて過ごしていきたいな。